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芥川龍之介と腸詰め—「鼻」をめぐる明治・大正期のモノと性の文化誌
僧侶の鼻はなぜ〈腸詰め〉に喩えられたのか?芥川解読の新たな地平
データベース検索によって縦横無尽につながってゆく、同時代の〈言葉〉の数々。西洋のモノとの出会いと衝撃を社会風俗からえぐり出し、その表象から探る、かつてない『鼻』解読の試み。
▶ ▶ ▶産經新聞(2008.2.24:東郷克美氏評)、熊本日日新聞(2008.4.20:難波美和子氏評)、週刊金曜日(2008.2.15号:本橋哲也氏評)、KINOKUNIYA BOOKLOG「書評空間」(2008.1.15:高山宏氏評)、論座(2008.4月号)に書評が掲載されました。
序 西洋が来た
第Ⅰ章 日本の「ソーセージ」文化誌
第Ⅱ章 「腸詰め」言説と「ソーセージ」言説の攻防
第Ⅲ章 比喩「腸詰め」の選択
第Ⅳ章 〈鼻〉をめぐる明治期の言説
第Ⅴ章 芥川の〈鼻〉意識
第Ⅵ章 聖職者と性
第Ⅶ章 「道祖問答」の性言説
第Ⅷ章 明治・大正期の性とその病
…仏教僧の鼻が「腸詰め」のようだ、と芥川が書いた7年ほど前(明治43年)のことである。「阿媽港か何処かへ上陸している中に、のるはずの船に置き去りにされた」「伊留満」のように、ひとりのドイツ人が横浜港で、のるはずの船に置き去りにされた。その船のコック長、ハム・ソーセージづくりのすぐれた職人、マーテン・ヘルツである。…(本文より)
荒木正純(あらき・まさずみ)
筑波大学人文社会研究科教授。博士(文学)。著書に『ホモ・テキステュアリス:20世紀欧米文学理論の系譜』など、訳書にキース・トマス『宗教と魔術の衰退』ほか。
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