【書評紹介】

 

「横たわる裸婦」のゆきつく先は

ウェヌスの前には、ユノーの権力もミネルヴァの叡智も

ディアナの純潔も、膝を折らざるを得ない

伊藤亜紀

 

キリスト教世界で最も造形芸術の対象となった聖女が、元・娼婦でありながら改悛したという伝説がつくりあげられたマグダラのマリアであるならば、最も多く具体的な姿を与えられた古代神話の女神が、ウェヌスであることは疑いない。いつの時代も、そしていかなる文化圏であっても、ひとを振り向かせるのは、一糸まとわぬ女の振りまくエロスである。その前には、ユノーの権力もミネルヴァの叡智もディアナの純潔も、膝を折らざるを得ない。
 「裸のウェヌス」を扱った書は、数知れない。しかしそのほとんどは「泰西名画の裸婦」という枠組みのなかで彼女を論じており、美神の形象化に焦点を絞ったものは、思いのほか少ない。そのような意味で、本書は「古いが、新しい試み」だと言えるだろう。
 著者はまず、初めて女神を裸で表現した彫刻家プラクシテレスの《クニドスのウェヌス》から説き起こし、いわゆる「慎み」のポーズが、古代ギリシアから中世を経て、かのボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》へと受け継がれた次第を語る。そして論の中心は一六世紀のヴェネツィアに移るが、ジョルジョーネの《眠るウェヌス》(一五一〇年頃)のポーズは、当時としては異例の―ヌード画像の氾濫する現代に生きる我々にとっては、それこそ意外なことだが―きわめて斬新なものとしてとらえられたという。その後、この横長の女神は、ヴェネツィア派の画家たちによってさまざまに変奏された。これらの裸婦像は、従来、モデルを務めたコルティジャーナ(高級娼婦)たちの「ピンナップ画」であると、一括りに解釈されることが多かったが、著者はここ二〇年ほどのヴェネツィア派絵画研究を渉猟した上で、《眠るウェヌス》を「婚姻画」の一種とみなす。ジョルジョーネの様式を引き継いだティツィアーノの《聖愛と俗愛》(一五一四年頃)や《ウルビーノのウェヌス》(一五三八年頃)も、その系譜上にあり、周囲の事物や動物、裸婦の恥部を押さえる仕種に、花嫁に対する「子孫繁栄」への強い期待が読みとれるという。
 しかし一五四〇年代から六〇年代にかけてティツィアーノが手がけた複数の《ウェヌスとオルガン奏者》、《ウェヌスとリュート奏者》の女神は、男性奏楽者の好色な視線を一方的にあぎる浴びる、いわば「欲望」の対象である。ウェヌスはもはら「豊穣」の女神ではなく、俗なる「エロス」の化身となった。
 本書の最終章、舞台は一七世紀のスペインへと飛ぶ。ベラスケスの《鏡を見るウェヌス》(一六四七~一六五一)は、猥雑な画像を厳しく禁じたカトリック国で描かれたという意味で、特筆すべき作品であるが、著者は、この「うしろ向き」の女神が、ヴェネツィア派の描いた「前向き」の裸婦と「対」として鑑賞されることを想定して制作されたと考える。実際一八世紀には、《眠るウェヌス》はヴェネツィア派の画家ポルデノーネの手がけたものとされるウェヌス像の対作品として、アルバ公爵邸に飾られていた。その失われた伝ポルデノーネ作品は、ジョルジョーネのものとよく似た「前向き」の裸婦である。このように女性の身体を前後双方から眺めて愉しむということは、かつてティツィアーノがスペイン王フェリペ二世宛ての書簡のなかで示唆した鑑賞法であり、さらに諸芸術比較論争(パラゴーネ)たけなわの時代、立体を表現できないがゆえに「絵画」は「彫刻」に劣ると主張する者たちへの、巨匠の反論であった。そのベラスケスの影響下にあるゴヤの《裸のマハ》(一七九五~一八〇〇)もまた《眠るウェヌス》の直系であることは間違いないが、後年描かれた《着衣のマハ》(一八〇八年以前)とあわせて鑑賞するということは、「脱ぐ」行為を否応なく想起させる「世俗的で猥雑な見方」だと著者は結論づける。
 ヴェネツィア派の裸婦については、これまであまりにもそのポルノグラフィー的側面ばかりが強調されてきたが、近年では、当時の結婚観や家族観、女性たちの社会的立場をも考慮した新説が、ローナ・ゴッフェン等によって提唱され、本書の著者も、その潮流のなかにある。ジョルジョーネの《眠るウェヌス》が、単なる男性の性的な悦びの対象ではなく、「結婚」と「豊穣」を司る、聖なる女神であることをあらためて教えてくれる好著である。(国際基督教大学教授・イタリア服飾史)

*掲載許可済